お金持ちは心が狭いかどうかは気にしない
世の中で自分の心が狭いのかを気にする人は多い。ネット上でも、他人から不当なことをされたにもかかわらず、それに対して「モヤモヤ」するのは「心が狭いのでしょうか?」と質問する人が多い。
他人が何というのかが善悪の判断基準
他人からの不当な行為に対して「モヤモヤ」したり「心が狭いのか」を気にする人は、残念ながらお金に縁がない。その理由は、正しい、正しくない、の判断が自分自身の信念に基づくものではなく、他人が何と言うか、という非常に危ういものだからである。
不当なことをされたという確信があるのなら、モヤモヤではなく、怒りを覚えるはずだ。不当なことに対して怒る自分に対して「心が狭いのか」どうかを気にする必要はない。不当なことに対して怒るのは正しい行為だからである。
しかし、ここで自分は怒っていると言えない、あるいは言いたくないという人は、自分の信念に自信がない、あるいは信念など存在せず、すべて他人がどう言うのかが判断基準となっている可能性が高い。
心が狭いのかを気にするのも同じ理屈である。他人が何と思うのかばかり気にしているので、そのような考え方になってしまうものと考えられる。
このような状態では、常に周囲の状況に合わせて行動するようになるので、率先してチャンスをつかむことは難しい。考え方も保守的となり、常に人の後手に回ることになるだろう。このような思考パターンの人は、平均かそれ以下の成果しか上げられないのは、むしろ当然の結果である。
信念がないことは危険をもたらす可能性がある
あまり儲からないというだけならよいが、このタイプの人は、さらに大きなマイナスにつながる可能性もある。判断基準が他人だということは、実は非常に危険なことなのである。もし周囲の人が、間違った決断を行い、やってはいけないことを行っていた場合、何の躊躇なく、それに追随してしまう可能性があるからだ。
組織が行っていた不正に無意識的に加担してしまい、処罰されてしまう人を時々目にすることがある。本人には悪いことをしたつもりはないのだが、周囲がそれを当たり前と思っていた場合には、何の疑問もなく自分もその行為に手を染めてしまう。後になって、責任を追及されても、自分にはその気はなかったと発言し、さらに批判を浴びることになる。
心が狭いのかを過剰に気にしたり、他人の不当な行為に対して自分で判断ができずモヤモヤするというのは、実は非常にリスキーなことである。経済的に豊かになりたいと思っているのなら、こうした価値観は即刻捨て去ることが望ましい。
不当なことに対して何でも反発する必要はない。勝てない戦争というのは常に存在するものであり、場合によっては我慢も重要である。
だが不当だと分かっていても、不利なので我慢するという行為と、人から悪く思われたくないという理由で、モヤモヤすると言い換えたり「私は心が狭いのでしょうか?」などと確認する行為は根本的に異なっている。この違いは明確に理解しておかなければならない。
関連記事
-
-
ピケティから何を学ぶか
フランスの経済学者トマ・ピケティの著作「21世紀の資本」が話題となっている。7 …
-
-
お金持ちの人は、知識と体験を分離できる
人の知識というのは、体験と密接に関わり合っている。学校の勉強でも、ただ授業を聞 …
-
-
お金持ちの人だけが持つ独特の判断基準
お金持ちの人たちは独特の判断基準を持っている。 フツーの人は、何かを判断しな …
-
-
いつでも買えると思うと買わなくなる
お金の有無は人の消費意欲に大きな影響を与える。自分の性格は経済状況などでそうそ …
-
-
お金持ちの人から話を聞くときの注意
お金持ちの人たちの話は、著書やメディアのインタビューなどを通じて、間接的にでは …
-
-
お金持ちになりたければリスクの概念を変えろ
お金持ちになるためにはある程度リスクを取らなければならないと本コラムではたびた …
-
-
お金持ちは常に恐怖に怯えている
貧乏人の僻みではなく、お金持ちが不幸だと言うのはある意味で本当だ。たくさんのお …
-
-
正社員は大変だ、などと本気で考えている人はお金持ちになれない
ここ数年、正社員と非正規社員の格差が社会問題となっている。これについてどうすべ …
-
-
「お金に色はない」の本当の意味
お金に色はないとよくいわれる。多くは汚いカネでもキレイなカネでも懐に入ってしま …
-
-
迷ったらチャレンジングな方を取れ
お金持ちになるための考え方の一つに「迷ったらチャレンジングな方を取れ」というも …