今の1時間と将来の1時間は異なる
人間は必ず年を取るものである。当たり前のことなのだが、多くの人はそれを考えない。何か新しい事をしようと思ったら、それなりの時間を確保する必要があるが、年を取っていくと、自由になる時間は少なくなってくる。今できることをしておかないと、将来、同じ事ができる保障はない。
年を取ると、多くの余裕時間を確保しなければならない
起業や投資を始めるタイミングは、若ければ若いほどよいといわれるが、それは本当である。何より若い時は体力的に無理がきくし、失敗しても、マイナスにさえならなければやり直しがきく。
だが年齢を重ねていくうちに、そうもいかなくなってくる。体の無理がきかなくなり、睡眠時間もある程度確保することが必要になってくる。筆者は起業経験があるので実感として分かるのだが、事業のスタートアップという時は、想像を絶する激務となる。筆者が起業したのは30歳だったので、数日、まともに眠らなくても平気だったし、最初の1年は、ほぼすべての土日を仕事に費やすことができた。
仮に何か深刻なトラブルになっても、基本的にハードワークでカバーするというやり方に一定の合理性が生じていたのである。だが、40代、50代となっても、そのような働き方をしていては、健康上のリスクが高まるばかりである。必然的に計画的な仕事の進め方が求められるようになり、資金的な余裕がないと、十分なオペレーションができなくなる。
現在確保できる1時間は、10年後には1時間ではないと思った方がよい。自由に確保できる時間は年々減ってくるのだ。これを考慮に入れないと、大きな失敗をする結果となる。
金額は小さくても若いうちはリスクを取れる
投資も同じである。投資に対してどの程度リスクを取れるのかという点について、もっとも重要なのは、資金の量である。だがそれに次いで重要なのは本人の若さである。若い時ならば貯金の半額を投資に回しても大きな問題は生じない。仮に失敗しても挽回がきくからである。
一方、定年する年になってから投資する場合には、状況が大きく異なる。いい会社に勤めていれば、それなりの退職金があるので、金額的には大きな額が用意できるかもしれない。しかし、この年では、敗者復活戦はほぼ不可能である。いくらお金を持っていても、そのほとんどを投資に回すことはリスクが大きい。
投資で一定の成果を上げるためには、才能がある人でない限り、ある程度の授業料は必要である。しかも、自分にとって多少大きな金額を投資しないと、心理的なトレーニングにならないことが多い。
若い時に、自分としては高額のお金を投資に回して、いろいろな方法を試してみることは非常によい経験となる。逆にいえばこれを経ずして、本格的な投資をすることはあまりお勧めしない。その点では、お金を持っている退職者よりも、あまりお金がない若者の方が、投資のスキルを磨くことができるチャンスは大きいのだ。
【参考記事】
「努力は報われるのか」
【関連サイト】
「なぜあなたは出世できないのか?」
「投資で成功するために絶対知っておくべきこと」
「起業・独立で成功するために知っておくべきこと」
「放射能から身を守る食品サイト」
「記事にできないホンネを集めた脱力系裏ニュースサイト」
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